トマトと卵の炒め物
日本の五年旅で、日本のことをよく知っているといい、よく知らないといい。「郷に入っては郷に従え」と言いつつ、食べ物と音楽は同じように国境なく。美味しければいい。結構適当な言い方ですけど(笑)。やはり、人によって口に合うかどうか変わる。幸いのことに、僕は生ものと納豆も食べれる。もっと幸いのことに、僕いまの住んでいるところの生ものは簡単に言うと、新鮮で美味しかった。
でも、ひとつは間違いなく、それはそのもの自体は別で、大事なのはそのもの後ろに載せていた人それぞれの物語のほうが、人を大切させる。
日本の料理の中で(日本料理ではなくて)中華料理もその中の一部であった。これも「郷に入っては郷に従え」で、味もちょっと変わった。でも、この中で、「トマトと卵の炒め物」を見つからなかった。多分、お互いに悪口しか言わないメディアの逆に、一番おいしい料理だけを伝わって行くことで、普通すぎで人に無視されたかもしれない。
もちろん、これは雑談だけだ。
「トマトと卵の炒め物」、初めてお母さんから作ってもらって、もう二十年ころに経った。元々は、一品料理とご飯は別々だったけれど、箸でトマトをお碗に取り分けにくいので、いっそのことで、全部ご飯にかけてしまった。
意外に美味しかった。
昔は、子供の友達の部屋に遊びに行ったときに、たまたまちょうど向こうのお昼タイムになったことがあった。また、ちょうど「トマトと卵の炒め物」だった。思わず知らず自分の見つかった食べ方を人にひけらかして、「美食家」に褒められた。それで、ずいぶん調子をのっていた。
楽しみのある一方、大変なこともあった。
もうちょっと大きくなったら、お母さんがビジネスのことで、僕の世話をできてなかった。最低限に家を出る前にお昼のご飯を用意して、僕に温めさせる。その時のお昼はほとんどこういうパターンだった。
これでも自炊になるだろう。(笑)
子供は、世の中のものに対しての好奇心は何より強いだから、何でも試したい。
僕は今もそうだ。
試して、その結果はいつも半々で、いい結果もあったし、悪いのもあった。無事な時もあったし、危ない時もあった。
「トマトと卵の炒め物」を一から作ろうと効率よくするために、食材を切っている同時に、油を温めた。トマトを一気に入れたとたんに、指に油を飛ばされた。
ずいぶん熱かった。
そんなに格好悪く見えないため「美味しいぞ!」とごまかした。
確かに、指の匂いも美味しそうだった。(笑)
今ももちろん、自炊する、たまに「トマトと卵の炒め物」も作るが、お母さんのに比べたら、どうしても、何とか足りなさそうな気がしている。
もしくは、もともとこの足りない部分を学ぶことができない。
「慈母手中線,遊子身上衣」
この足りない味こそが、この世の中の一番美味し料理になっているだろう